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◎サヌキノ工芸展

サン・クラッケの2階では、毎月1〜2つの工芸品にスポットをあてた工芸展を開催します。
工芸品がどのように作られているかを掘り下げて見ていただける展示としていきますので、ご期待ください。

□12月 讃岐かがり手まり・高松張子・高松嫁入人形・古式畳

12月 讃岐かがり手まり・高松張子・高松嫁入人形・古式畳

今月は讃岐かがり手まり(12月10日〜12月26日まで)、高松張子、高松嫁入人形、古式畳(12月10日〜1月9日まで)を特集します。

店頭ディスプレイにも2階の特集コーナーにも可愛らしいお人形と手まりがずらっと並びました! 讃岐に伝わる伝統的な郷土玩具を飾って、新年を迎えてみませんか。

[讃岐かがり手まり]

使われているのは草木染めされた木綿の糸。 まず籾殻(もみがら)を薄い紙でくるみ、その紙が見えなくなるまで木綿糸をぐるぐると巻きます。 これを土台にして、木綿糸で幾何学模様を針でかがっていきます。

江戸時代中期ごろから作られるようになった香川の特産品「讃岐三白」のひとつに「綿」があります。 なかでも三豊市豊浜町は「綿の町」と言われるほどで、香川の手まり文化も西讃(香川の西の地方)で盛んだったそうです。 昔は家庭ごとに子どもの遊び道具として手まりを作っており、ごく当たり前のものだったために作り方は口伝でのみ伝わり、書物はほとんど残っていませんでした。 ゴムまりの普及もあり、忘れ去られていた木綿の手まりですが、「民藝運動」に熱心だった荒木計雄(かずお)さんと、その妻の荒木八重子さんの手で調査と研究が行われました。 昭和52年に「讃岐かがり手まり」と命名され、昭和58年に「讃岐かがり手まり保存会」が設立。 昭和62年に香川県の伝統的工芸品の指定を受けるまでになりました。 現在は伝統を保存していくだけでなく、その技を広めていくための活動も行っています。

[高松張子]

高松市鍛冶屋町には、江戸時代ごろから玩具や人形を商う店が軒を連ね、いろいろなおもちゃが作られていました。 張子細工もそのひとつ。 「デコさん」といわれる張子の人形や面は子どもたちの良き遊び相手でした。 その中でも代表的なモチーフとなっているのが「奉公さん」。 お姫様の病を身に移し受け、離れ小島で短い一生を終えたおマキという女の子のお話です。 悲しい伝説ですが、奉公さんの表情はやわらかく、優しい笑顔を浮かべています。

現在、高松張子の作り手は3人。 「宮内張子」宮内フサさんのお孫さんにあたる太田みき子さん。 「乃村玩具」お父さんの跡を継いだ乃村七重さん。 「張子工房ウスイ」の臼井融さんは宮内フサさんの張子と出逢ったことがきっかけで、乃村玩具に就職。 40才のときに独立しました。 作り手によって奉公さんの表情や雰囲気が違いますので、その違いを見比べてみてください。

[高松嫁入人形]

むかし、高松地方では嫁入の際に花嫁が手土産として、近所の子どもたちに配るため人形を持参する風習がありました。嫁入の翌朝、子どもたちは「デコさんいたア」ともらいに来ていました。

嫁入人形はもともとは土製で、型抜して自然乾燥した後胡粉で地塗し、描彩したもので大変割れやすかったため、のちに張子で作られるようになりました。 配られた人形の種類はおめでたい図柄のものばかりで大・小多数あり、その中でチン鯛が最も多く配られ、イヌマイ、メデタイと一度嫁入りすれば帰らないという意味で、また狗の多産にあやかって安産祈願・子孫繁栄を祈るものとなっています。

全国的に珍しい嫁入人形の風習も時代と共にすたれ大正時代に入ってからカラツ人形が代用され、更にセルロイド人形や学用品に変わり、昭和に入ってからは小学校へ金銭を寄付するなどの風習になって、次第に無くなっていきました。

現在は宮内フサさんが作られていた小さな土人形のつまみ人形を、お孫さんの永井節子さんが継がれて作られています。

[古式畳]

古くには座具として用いられ、薄手で、重ねたり折りたたんで使っていましたが、現在の形になるのは平安時代のことです。 貴族文化や生活様式を土台として作られた畳で、京都では有職畳(ゆうそく)と呼ばれます。これが江戸時代に入り讃岐に伝来し、古式畳になったとされています。 古式畳は縁に特徴があり、紋縁という図柄を決まりに則り畳に仕上げていきます。 現在の需要の多くはお寺。 宗派により形、縁図柄や寸法も定められているそうです。

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