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◎サヌキノ工芸展

サン・クラッケの2階では、毎月1〜2つの工芸品にスポットをあてた工芸展を開催します。
工芸品がどのように作られているかを掘り下げて見ていただける展示としていきますので、ご期待ください。

□9月 サヌキノ木工
讃岐一刀彫・肥松木工品・組手障子・欄間彫刻・桐箱・菓子木型・志度桐下駄

9月 サヌキノ木工 讃岐一刀彫・肥松木工品・組手障子・欄間彫刻・桐箱・菓子木型・志度桐下駄

[讃岐一刀彫]

琴平に生まれた唯一の伝統的工芸品です。 その歴史は古く、起源は天保8年(1837年)、金比羅大権現の旭社建立の際、全国から集まった宮大工たちが木切れにノミを入れ、腕を競い合った事が始まりと言われています。

その後一刀彫の技法は明治30年ごろ開校された琴平工業徒弟学校の彫刻科に伝承され、金比羅さんの土産として広まってきました。 以前は皮の付いた原木で作られていましたが、今は肥松や楠が使われています。

讃岐一刀彫は、たたきノミの刀痕をそのまま仕上げに活かした一木作りの技法。 たたきノミの大胆かつ荒々しい刃跡と小ノミを効かせた繊細さが特徴。

[肥松木工品]

讃岐では江戸時代末期には既に、肥松木工品が作られており、武人や茶人に好まれていました。 「肥松」とは赤松、黒松が成長し、何百年もかけて松脂が溜まった部分の事。 木工として使用できるのは最低でも3百年を超え、更に30年寝かせたものが材料となります。太陽にかざすとべっ甲のように透けて見えるという特徴があります。

脂分が多いため加工が難しいとされて、何十年という時間をかけて乾燥させ寝かせるという手間がかかる素材。 しかしあえて扱いにくい肥松を木工品にする事で、使い込む程に深みのある色味に変化します。現在では肥松木工の製作はクラフト・アリオカのみ。

[組手障子]

日本建築の間仕切りとして不可欠である障子は鎌倉時代から作られたとされています。 その後、江戸時代になると実用だけでなく、障子の格子自体に様々な装飾が施され広く使用される事になりました。 「組手」とは釘を使わず木を組み付ける技術のことを言い、古くは細く引き割った木に溝、穴、ホゾ加工を施し、のこぎり、ノミ等で調整しながら1本ずつ組み付けしていました。 釘を使用しないで木を組み付けるこの技術は現在では高度すぎ習得までに時間が掛かり過ぎるという欠点もあります。 木を組む工程は0.1ミリ寸法が異なるだけでも組付けができなくなる世界。 その枠となる部分を「地組」、図形を構成している中の部分を「葉っぱ」といい、薄いもので0.01ミリの厚みしか無いものもあります。 その意匠だけでも100以上のパターンがあり、現在では組子が作る影の美しさに注目し、照明を始めとするインテリアなどにも置き換えられています。

[欄間彫刻]

湿度の高い日本の家屋には必要だった欄間。 通風や採光のために欄間に彫刻を施したもので、平安時代に生まれ京都で育ち、安土桃山時代に開花したと言われています。

讃岐の欄間彫刻は、江戸初期、徳川光圀の兄で初代高松藩主松平頼重公を慕って移り住んだ飛騨の木工職人が欄間彫刻を伝えたと言われ、戦後まで産業として盛んでした。

しかし生活様式の変化に伴い、欄間も作られなくなりましたが、太鼓やだんじりといった祭りの山車の装飾にその技術は活かされるようになっています。

[桐箱]

桐箱は、木目も美しくて軽く、中に入れたものを湿気から守るという特長があるため、 重宝されるようになりました。

古くから全国各地の神社仏閣で宝物箱として使われてきましたが、 金比羅宮や賛同の桐は幹の中央に空洞が出来るため、大きく材料がとれません。 いくつものパーツを指し合わせ、箱に仕立てていきます。

また組み立てに使うのは木釘。使用するのは乾燥させた「ツゲ」。 こうして出来上がった桐箱は、何処からあけるかわからない程の精巧さとなります。

[菓子木型]

菓子木型とは和菓子を成形する際に用いる木型の事です。 饅頭や練り物などほとんどの和菓子に使われています。

和菓子に欠かせない菓子木型は江戸時代に発祥したと言われ、香川県においても明治30年頃から作られていました。 材料は山桜を十分乾燥させたものを用い何種類ものノミ、彫刻刀を用い様々な図案を左右凹凸、逆に掘っていきます。 完成した木型を2枚重ね、砂糖や餡などの材料を入れて抜き出すと出来上がり。

現在この菓子木型を製作しているのは全国で5〜6人のみ。四国では市原さんのみ。

[志度桐下駄]

志度町は全国シェアの6割以上を占める桐下駄の産地です。 この志度桐下駄が一大産地となったのは明治40年頃。 当時職人は200人いたと言います。 歴史を紐解くと、志度町で下駄の製造を始めた人物が砂山房太郎さん。 いち早く製造機械を導入し職人の育成を行った同氏の功績が挙げられます。 従来の下駄は1つずつ手づくりをしていましたが、砂川房太郎は各パーツのサイズ規格を標準化し量産体制を築き上げました。 その当時の技術を守り受け継がれてきましたが、現在作り手は数社のみとなっています。 ある程度機械化されてきましたが40もの製造工程が存在し、手作業も多く、一つ一つ丹念に作られています。

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