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丸亀うちわ

丸亀うちわ

■歴史
丸亀うちわの始まりは1633年(寛永10年)ごろ。流行していた金毘羅詣りの玄関口として丸亀港はたいへん賑わっていました。その丸亀で金毘羅詣りの安価なお土産物として○金印入りの団扇づくりが推奨されたのが、丸亀うちわの始まりとされています。それが『男竹丸柄団扇』です。

1780年代には九州中津藩の足軽が「女竹丸柄団扇」作りをしているのを丸亀藩の江戸留守居役が見かけたことで『女竹丸柄団扇』が丸亀にも導入されました。細身の女竹は男竹より扱いやすく、財政的に苦しかった丸亀藩が技術の習得を奨励したこともあり、うちわ作りは下級武士や町民へと広まります。生産量は1854年ごろには年産で80万本にも達したそうです。

明治維新後の1874年(明治7年)ごろは混乱のなかで衰退傾向を示し、年産10万本にまで減りますが、1877年ごろには4つの団扇及び団扇骨製造工場が存在していました。 1887年ごろには生産量は再び増加し、中国や米国向けの輸出も相当な量を占めています。このころから団扇のデザインの改良も行われるようになりました。

それとほぼ同時期の1882年(明治15年)ごろ、「奈良団扇」を基に「平柄」のうちわの製造を富屋町の卸問屋がはじめます。平柄うちわの技術を習得した吉田利七は、1888年(明治21年)に塩屋(現在の丸亀市塩屋町)の自宅で工場を開きました。 当時、丸柄が主流だった丸亀では十分受け入れられませんでしたが、塩屋で発展したこの平柄の団扇は『塩屋平柄団扇』と呼ばれました。1894年(明治27年)には塩屋に業界初の法人組織として「丸亀団扇株式格子会社」が設立され、塩屋平柄団扇の誕生はうちわ作りがそれまでの家内工業から大量生産へと移行するきっかけになります。

日露戦争後の1905年(明治38年)以降、うちわが広告や宣伝用に使われるようになると、大量生産には難がある丸柄団扇が不利になります。 さらに1913年(大正2年)には平柄団扇の更なる大量生産が可能になる「切り込み機」「穴開け機」を発明家の脇竹次郎が開発。うちわ作りを以前よりも容易なものとしました。1938年(昭和13年)以降になると、戦後の人手と資材不足によってうちわ全体の生産量も減少。価格的に不利となった丸柄うちわは、一部業者を残して安価で早くできる平柄うちわ中心の体制へと移り変わっていきました。こうして、丸亀うちわの主流は平柄うちわになりました。

現在、全国のうちわ生産量の約90%を丸亀うちわが占めています。この数字は日本3大うちわに数えられる「京うちわ」「房総うちわ」と比較すると、丸亀うちわの生産量は群を抜いています。扇風機やクーラーの普及で家庭内でうちわを使う機械が減っても、丸亀うちわが販促品として残ってきたためです。 1965年代(昭和40年代)に入るとポリプロピレン製の団扇骨が丸亀の業者によって開発され、機械による大量生産が可能なうえにコストが安いことから『ポリうちわ』は急増。丸亀の技術を伝えた中国の工場からの骨の輸入など、うちわ作りは短期集中大量生産になりました。

丸亀うちわは1997年に経済産業大臣指定の伝統的工芸品(国指定の伝統的工芸品)に指定されましたが、竹から作るうちわの職人の高齢化や後継者不足は今後の大きな課題になっています。1999年から毎年「丸亀うちわ技術・技法講座」を開き、技術の伝承を行っており、修了生のなかには伝統工芸士に認定された方もいます。370年続いている丸亀うちわの伝統と技法の継承とともに、丸亀うちわが現在の人々の生活にどのように取り入れていくのかも今後も大きな課題となりそうです。



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